性的異常者の再生?ループ?阿部和重「グランド・フィナーレ」第132回芥川賞

刑罰は、罪を犯した人を罰するためにあるのか、それとも更生させるためにあるのか。
こうした議論は、法律の根本論として、色々議論と考えがあるところでしょう。

第132回芥川賞(2004年度下半期)に決まった、阿部和重さんの「グランド・フィナーレ」を読みます。

これはテーマがなかなかきついものです。一言で言えば、□りコンのお話。小学生低学年の娘を持つ、売れない教育映画監督の男が主人公。

30台の男は、自分の娘や教育番組に出た少女たちの裸を撮影していた。
この異常な性癖は妻にばれて、もちろん離婚され、家から追い出される。主人公は、郷里の山形へと帰る。

未練がましく、娘の誕生日をこっそり祝おうと上京するが、会うことはできない。親しかったクラブ仲間の女性からは、少女性愛の被害にあって自殺した友人のことも聞かされ、反省をした状態で山形に戻り、引きこもる。

ところが、地元の小学校で、かつての映画監督という経歴を理由に、小学生の演劇を指導するように頼まれる。しかも小学6年生の美少女2人が相手だ。

主人公はその性癖を自分でも恐れて断るが、頼んできた2人の小学6年生の少女が演劇にかける強い思いにほだされて、指導をすることにする。「少女たち、逃げて~」というドリフのような展開には、さすがに芥川賞だけに、ならない。

なぜ少女たちが演劇にそれほどまでの思いを持っているのか。少女の1人は兄が別の場所で殺人事件を犯したために家族共々、村八分のような状態になっており、もう1人の少女であるその親友は、少女をたった1人で守り抜いてきた。

兄が犯罪を犯した少女は卒業をもって関東へ引っ越すことになった。そこで2人はこの演劇を上演することで思いで作りをしたいとのことであった。

ところが主人公は、2人がある時インターネットサイトで自殺サイトを閲覧していたことを知る。この演劇を最後に、2人で心中してしまうのではないかと。

かつて、自分が「殺した」かもしれない少女への贖罪のためか、主人公はこの2人に何とか生きてもらおうと、一生懸命に演劇の指導を続ける。

この試みは果たしてうまくいったのか? 2人の少女は無理心中をしないですんだのか? それとも、懐いてきた少女たちに主人公のゆがんだ性癖を発揮してしまい、どちらかと肉体関係を結んだりしてしまうのか? 予想される未来の希望と絶望がおり混ざったで話しは幕を閉じる。タイトルが「グランド・フィナーレ」なだけに、いろいろと想像してしまう。

少女性愛と言うのは、源氏物語からの古くて新しいテーマである。

特殊な性癖の中で、同性愛やSMなどは、世の中から認められるようになった一方で、少女性愛はむしろ、下手をしたら殺人よりも重い位の社会的な財閥の対象になっているともいえる。

実際この作品が受賞した頃、奈良で男が少女を誘拐してわいせつ目的で殺すと言う事件があり、そのタイミングでの受賞なので、たまたまながら大きな話題になった。

罪と罰、贖罪と破滅をほのめかせるエンディング。また、東京から山形と言う都会と田舎の対比も、ストーリーに沿っており、表現も読みやすさも、小説として非常にレベルが高いと感じた。

星4つ

テーマ 少女性愛 
地域 東京 山形
歴史的テーマ なし

 

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