表現の不自由展で思想教育や表現の自由を制限という前衛アート

話題のあいちトリエンナーレの「表現の不自由展」。

あいちトリエンナーレが基本的に、現代アートが主役の芸術祭なので、「アートでなさそうな部分が実はアートの本体」という前衛アートとしては大成功しているようです。

勝手に自主規制で閉めておきながら、再開にあたっては、

県という行政機関が、観覧者に教育プログラムを受けるのを「義務」とした上に、SNSへの投稿を禁じるという、絵に描いたような「思想教育」と「検閲」をするという。(教育はパネル展示、SNS投稿は会期後に解禁されたそうです)

前衛的な態度を取ったことが衝撃です。

「教育」という言葉、本気なのか、皮肉なのか、真意がわかりません。とにかく、愛知県は怖いということはわかります。

恐怖を感じたのが、昭和天皇の肖像をバーナーで燃やす動画が上演されたあとに、拍手が起こったということです。「教育プログラム」の効果があったわけで、やっぱり洗脳って怖いなあと感じました。

ユーチューブで見た各作品について

天皇の肖像であろうと、愛知県知事の肖像(カウンターとして大村知事の写真を燃やす、これはデジタル的にですが、動画がツイッターで人気を集めています)だろうと、他人の写真を燃やして(自然発火でなく意図的に)、悦に浸って「アートだ」という作者やその賛同者に、拍手を送る気にはなりません。品がないな、としか。

チンポムについては、制作にあたって無垢で善意の人を騙して、問題になると、素直に謝罪をして反省して「被害者」に近づき、その極めて高いコミュ力で、懐柔してしまう。福島、広島、岡本太郎、と繰り返されるその手法は、コミュ力高いリア充そのもの。アート界の若い人たちは、アートの世界で食べて行くには、想像力や技術より、コミュ力が大事ということを気づく、そのきっかけになればいいと思います。

作品そのもののテーマについては、被災時の「絆」の連呼は、今になってみれば、自分でも恥ずかしいところもあり、なるほどと感じましたが、善意の被災地の若者を騙しているという点で、さらに今もそれを作品として流していることの悪意の深さには、そら恐ろしさを感じます。

今後もチンポムの悪意ある制作意図に、騙される善意の普通の人が生まれると、思うと、やりきれないです。

慰安婦像については、そもそも、世界中に置かれており、全く表現を阻害されていない作品を「表現の不自由」のメインに置くことが、今回の展示の真のテーマが「表現の自由」でないことを示唆していると言えるでしょう。

少女像の国内「放置」が始まる、と予想

立体造形物を芸術作品で「ない」と言う人もいますが、それはさすがに失礼だと思います。

ただ、アートの名を借りた政治的なツールであることは間違いないですし、今後、日本の公立施設で行政機関(愛知県)が認めたということで、日本の国内に「放置」することが押し進められるでしょう。

全国の左系の画廊を巡回して、最終地は、愛知県立の施設内、具体的には愛・地球博開催跡地に開業予定の「ジブリの森」の近辺を狙っていると思います。宮崎駿は朝日新聞シンパですから、施設内での実現可能性も割とあると思います。なお、所在地は名古屋市でなく、長久手市です。「第二次長久手の戦い」ですね。

文化庁の悪手はワザと?

トリエンナーレ主催の委員会を開かずに、会長の知事が一人で決めるという独断が続く中、補助金問題について文化庁は悪手をとりました。

会期のほとんどでチケット買っても、作品が見れない(不自由展の休止に合わせてほかの展示も多数締めた)という有料イベントとしては、成立していないので、手続き的に不支給というのは当然でしょうけど、まさに「敵に塩を贈る」タイミング。文部科学大臣が指示したなら政治家として愚鈍すぎ。そのため、むしろ文化庁内の朝日新聞シンパがわざとやった可能性もあると思っています。

不特定多数に表現の自由を規制した戦後初のケースかも

これまでの戦後(GHQ後)の言論弾圧は、政治家(政治活動家含む)や行政(主に警視庁や警察)が制作者や出版社に対して行われてきました。(なおGHQの占領時代は検閲があることも知らされず粛粛と検閲がされていました。マトリックスの世界ですね)

主な弾圧の理由は、大きく三つ。

官能小説チャタレー婦人の翻訳や永井荷風猥褻画などのエロが理由と、共産系団体が講談社に自衛隊の戦車の記載内容を変えさせたことや憲法守れという文芸作品を公民館が掲載拒否したような政治的なこと、チビクロサンボの絶版など差別やコンプライアンスと言った社会的なことが、主な理由です。

戦後の日本では、宗教が理由の抑圧はほとんどないようです。「悪魔の詩」翻訳者殺人事件は宗教が理由との憶測がありますが犯人が不明(時効成立)のため明確ではありません。

今回の事件がこれまでのものと異なるのは、規制が制作者でも出版社という特定の人や組織に対してでなく、SNSという個人メディアを持つ広く市民一般に網をかけたこと。これが最大の特徴です。

権力を持つ行政である県(県は市と違い警察組織を持ちますのが怖い)が不特定の市民に対して、自由な観覧を許さず、思想を教育し、自由な表現を制限したという、戦後、例を見ない形の言論抑圧は、個人がメディアを持てる新時代ならではの事件として画期的なのです。

これから調べていきたいですが、不特定多数を対象に行政が表現を禁止した例はおそらく戦後初でないでしょうか。

絵入自由新聞をオマージュ

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