大変に長い上に()で始まる斬新なタイトル。三宅香帆著『(読んだふりしたけど)ぶっちゃけよく分からん、あの名作小説を面白く読む方法』を読了。
若手の文芸評論家(書評家)三宅さんが、古典など名作の楽しみ方を、斬新な読み方で提示する。
その方法で、印象的だったのが、以下の2つの読み方だ。
1)ストーリーをあらかじめ把握しておく
2)物語でなく解釈で楽しむ
言われてみると目からウロコ。ストーリー(あらすじ)を最初に知っておくことは、小説の読み方としては邪道と言われてもおかしくない。
一つ前にエントリーしたが、ミステリー小説では、推理やトリック、犯人を先に読んでは、ほとんど読書の楽しみを失う。
ただ、古典は違う。
はっきり言って、古典文学(それには「モール街の殺人」のようなミステリーの古典も含む)は、ストーリー展開として、現代人を驚かせるものは、ほとんどない。
もし驚くとしたら、その人がそれまでにあまりにも(漫画を含め)読書をしていなかっただけだ。(もしくはテレビや映画でドラマを見ていない)
古典が「新作」だった時には新鮮であったストーリーも、時が経つに連れて、それを超える(それらをベースに)新しい物語が次々と創作されて、今に至る。そして、現代では、単に物語の驚き(who?やwhat?)よりも、読み手側は、そして描き手も、キャラクター描写などの心理面のwhy?に重きを置くからだ。
森鷗外の『舞姫』も、夏目漱石の『こころ』も、紫式部の『源氏物語』も、正直、ストーリーは、現代の作家が書いたとしたら、陳腐だ。
それよりも、あらすじを知っていたほうが、読めない言葉や現代人にはわからない言葉も、推測で読みすすめることができる。
そうして、読んでみて初めて、2番目の「解釈で楽しむ」が活きる。もっとも著者は「解釈で楽しむ」という言い方はしておらず、「メタファーを楽しむ」としている。が、メタファーという表現がピント来ないので、評者(ブログ主)が言い換えた。
あらすじ(オチですらも)を、最初から調べて知って読み始め、文芸作品としてメタファーを楽しむ方法を、読者サイドが共有できれば、古典は、勉強の題材から抜け出し、エンタメとして再び光りをあびることができうる。
古典文学のストーリーをあらかじめ(無料で)知ることは、昭和くらいまで(インターネット時代以前)は、一般人には不可能であった。この読み方は、よほどのお金と時間のある文学研究者や評論家しかできなかった、贅沢な読書法といえる。
この読み方が広がれば、古典文学作品は新たな読者層を見つけることができるだろう。だが、そうした状況は、文学研究者にとっては忌々しいかもしれない。それくらいインパクトのある読書法の本である。
この記事へのコメントはありません。