令和でもますます遠ざかるニーチェの「千の目標 一つの目標」

インターネットおよびスマホは、世界中の情報を瞬時に、そして大量に入手しつづけることを可能にした。

日本だけでなく、世界の情報や生の声をたくさん聞けば、その国や民族のことを理解できる、と思ってきた。だが、それは幻想だったことがだんだんと明らかにされてきた。

それでもなお多様性に寛容であろうとすることは、人間としてはすばらしいと称賛される態度だ。ただ、そうした態度をとり続けることは難しい。それほどに世界は多様なのだ。

かつてツァラトゥストラはこう言った。(もちろん本当の語り手はニーチェである)

ある民族に善と思われた多くのことが、他の民族には嘲笑に値いし、恥辱とされた。それをわたしは見た。こおで悪と呼ばれた多くのものが、あちらでは真紅の光栄に飾られているのを、わたしは見た。

隣国どうしが理解したためしはなかった。かれらはおたがいに隣国の妄想と悪意とを、いぶかしく思っていた。

どの民族の頭上にも、善のかずかずを刻んだ石の板がかかげられている。見よ、それはその民族が克服してきたものの目録である。見よ、それはその民族の血からへの意志が発した声である。

(略)

千の目標が、従来あったわけだ。千の民族があったから。ただその千の頸を結びつけるくびきだけが、いまだにない。ひとつの目標がない。人類はまだ目標を持っていない。

だが、どうだろう、わが兄弟よ、人類にまだ目標がないのならーー人類そのものもまだなりたっていないというものではなかろうか?

「千の目標と一つと目標」ニーチェ『ツァラトゥストラはこう言った(上)』(岩波文庫)、訳・氷上英廣

ニーチェは1844年生まれ、1900年没。100年以上前の指摘は、現代にも同じように覆いかぶさっている。

この100年の間に、人類は、民主主義、共産主義、EUなどなど、これこそが人類の一つの目標と思った「善」を試してきたが、共産主義は崩壊するか独裁政権に変化し、イギリスの脱退でEUは瓦解の兆しをみせはじめ、アジアでも同じ民主主義国家のはずの日本と韓国では、まるで善悪が異なることがどんどんと表面化している。

「神は死ん」で久しいが、ニーチェがツァラトゥストラに語らせた「超人」と「永久回帰」。超人はついぞあらわれず、「歴史は繰り返す」危機が煙のように地球上をたゆたっている。

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