【春の夕方 大手町のオフィスを出た二人。サキがスマホを見ながら歩いている】
サキ:「ねぇエミちゃん、これ見てよ。ARTnewsに面白い記事出てた」
エミ:「ん? なになに?」
サキ:「アレクサンドロス大王がメソポタミア(イラク)のチグリス川沿いに造った都市があるんだけど、2300年ぐらいずっと場所がわからなかったのが、ついに特定されたんだって」
エミ:「あっ、その話ね! 私も昼休みにちらっとそのニュース見て気になってたの!」
サキ:「さすがエミちゃん、もう知ってるんだ……。なんか航空写真で巨大な城壁の輪郭が浮かび上がったとかで、エジプトのアレクサンドリアに匹敵する規模だったかもしれないって」
エミ:「その都市が消えた理由がね、チグリス川の流路が変わったからなのよね。川が西にずれてしまって、3世紀ごろにはもう廃墟になっていたらしいわ」
サキ:「川の流れが変わっただけで都市が丸ごと消えちゃうって、すごい話だよねぇ……」
エミ:「すごい話よね。……で、サキちゃん。実はね、日本にも同じようなことが起きた場所があるの」
サキ:「えっ!?」
エミ:「川に翻弄されて、何度も消えかけて、最後には名前すら埋もれてしまった――そんな謎の古代都市が、実は新潟にあるのよ」
サキ:「新潟に……古代都市……?」
【カフェに入った二人。エミがタブレットをカバンから取り出す】
エミ:「その消えた古代都市の名前は『ぬたり』。漢字で書くと渟足柵。大化3年――西暦647年に、大和朝廷が蝦夷に備えて築いた城柵なの」
サキ:「647年って……大化の改新の2年後じゃん!」
エミ:「そう! さすがサキちゃん」
サキ:「年号のごろ合わせ『ムシコロセイルカ(645)』が強烈だったから」
エミ:「日本書紀に『渟足柵を造りて柵戸を置く』って書かれていて、これが歴史上、新潟に関する最も古い記述なの。北陸・東北地方に設置された『柵』の中でも、史料上最古のものとされているわ」
サキ:「つまり新潟の歴史は、ここから始まってるってこと?」
エミ:「そういうことになるわね。翌年の648年には、もう少し北に磐舟柵――今の新潟県北部の村上市あたりね――も造られて、この二つの柵が大和朝廷の日本海側の北方経営の最前線だったの」
サキ:「最前線……。まさにフロンティアだねぇ」
エミ:「658年には、渟足柵造の大伴稲積っていう管理者が、阿倍比羅夫の北方遠征に絡んで叙位された記録もあるの。つまり渟足柵は、ただの砦じゃなくて外交や交易の拠点でもあった、つまり古代都市だったのよ」
サキ:「へぇ〜! それってまさに、アレクサンドリアが交易の中心地だったのと同じ構造じゃん」
エミ:「……サキちゃん、今すごくいいこと言ったわね」
サキ:「えっ、そう? (エミちゃんの目がキラキラしてる……)」
渟足柵はどこにあるのか?古代史ミステリー
エミ:「ここからがミステリーなのよ。日本書紀の記述はこの658年で途切れて、渟足柵はぱったりと史料から姿を消すの」
サキ:「消える……チグリス川のアレクサンドリアみたいに?」

『国指定史跡八幡林官衙遺跡』(新潟県和島村教育委員会、1997年)より
エミ:「まさにそう。ただ、1990年に大きな発見があったの。新潟市の南の長岡市の八幡林官衙遺跡から出土した木簡に、『沼垂城』『養老』という文字が書かれていたのよ」
サキ:「沼垂城! 養老っていうと……8世紀ぐらい?」
エミ:「養老年間は717年から724年。つまり渟足柵は、漢字の表記を『沼垂城』に変えながら、少なくとも70年以上は存続していたことが裏付けられたの」
サキ:「漢字が変わっただけで、ちゃんと生きてたんだ……!」

『国指定史跡八幡林官衙遺跡』(新潟県和島村教育委員会、1997年)より
エミ:「沼垂郡としてその後も行政区としてはーだいたい今の新潟市などの新潟平野の一部ねー存続していったのだけど、ここからが最大の謎。この沼垂城――つまり渟足柵がどこにあったのか、今でもわかっていないの」
サキ:「ええっ!? わからないの!?」
エミ:「信濃川と阿賀野川が合流する河口のフロンティア、つまり北側にあったんじゃないかって、新潟空港がある現在の新潟市東区あたりだろうとも推定されているけど、遺跡が一切確認されていないのよ。新潟市東区役所が調査プロジェクトを実施したこともあったけれど、令和2年度に探索は終了。まだ見つかっていないわ」
・新潟市東区HP(渟足柵(ぬたりのき)ってなに?)(最終更新日:2026年3月11日となっているのでまだ見つかっていないのでしょう)
サキ:「1400年近く前の町が丸ごと消えてるって……それ、本当にチグリス川沿いのアレクサンドリアと同じパターンだよね?」
エミ:「そうなの。そしてその”犯人”も同じ。川なのよ」
水の世界としての新潟
エミ:「新潟平野がどんな場所だったか、少し想像してみてほしいの。信濃川と阿賀野川っていう日本有数の大河が、河口付近で合流して海に注いでいた時代があるのよ」
サキ:「信濃川は日本で一番長い川だよね。そんな二つの大河が合流!? すごい水量だよねぇ」
エミ:「しかも背後の山脈に降った雨や雪が全部この平野に集まってくるのに、二つの大河の出口は一か所しかなかった。洪水のない年のほうが珍しいような土地だったの」
サキ:「それはもう……住むの大変すぎない?」
エミ:「大変だったわ。低湿地に沼や潟がいっぱいあって、人々は腰まで水につかりながら田んぼを耕していたの。移動手段は基本的に船。まさに『水の世界』ね」
サキ:「でもだからこそ、海と川は物流インフラでもあったってことだよね」
エミ:「その通り。飛鳥時代の大和王朝の北限は、太平洋側は会津など福島県、会津から流れる大河が阿賀野川だったの。信濃川の上流の信州も当然、大和王朝の勢力下よね」
サキ:「なるほど……そんな二つの川の河口だから、戦略拠点の渟足柵を設置したのか……」

渟足柵(ぬたりのき)ってなに?-新潟市東区のHPから
消えた港、沼垂のドラマ
エミ:「さて、ここからが本当のドラマよ。戦国時代になると、信濃川河口側の砂丘に『新潟』、阿賀野川河口側には『沼垂』という二つの港町が現れるの」
サキ:「あ、沼垂って古代の『ぬたり』がそのまま地名として残ってたってこと?」
エミ:「そう。10世紀に編纂された『和名類聚抄』にも越後国の行政区として沼垂郡沼垂郷が載っていて、読みは『奴多利』と記されているの。渟足柵から連綿と続く地名なのよ」
サキ:「1400年続く地名……すごいなぁ」
エミ:「ところがこの沼垂、名前は連綿と続いているけど、場所として固定していないの」
サキ:「町が移動するってこと?」
エミ:「そう、とにかく川に翻弄されるの。チグリス川ほどでなくても日本有数の大河が合流するのだから、河口部は頻繁に大洪水が起きて流路も頻繁に変わってしまう。沼垂は『阿賀野川河口部の右岸』というのが町としての存在価値。その阿賀野川の流れが変われば、それにあわせて町も移動するのも、自然といえば自然。でもそれって端的に言うと、町が流されるってことを意味するの」
サキ:「えっ、町が流される!?」
エミ:「分かっているだけでも4回、町ごと移転しているの。洪水のたびに安全な場所を求めて引っ越しを繰り返して。二つの大河が合流しているのが無理ってことで、江戸時代の享保15年(1730年)にようやく信濃川と阿賀野川の河口が分けられて、沼垂は信濃川右岸ということになるのだけど」
サキ:「……それってもう、町自体が『さまよえるオランダ人』になってるじゃん」
エミ:「まさにそうなの。そしていよいよ『新潟』が登場よ」
サキ:「なんと、ここでようやく主役登場!」
エミ:「新潟って文字を見ればわかる通り、新しい潟。「潟」は後背湿地という意味だけでなく、『港』という意味が強いね。そして新潟が登場するのは、まさに上杉謙信の時代」
サキ:「えっ。意外と新しいんだ」
エミ:「新潟の地名の初見は永禄11年(1568年)。歴史上、有名なのは、天正9年(1581年)に新発田重家が上杉景勝への反乱で上杉家の重要拠点の新潟を奪取したことや豊臣秀吉が伏見城の築城の材料の日本海側の物流拠点として新潟を指名したことね」
サキ:「この頃には新潟がこのエリアの一番の港になっていたんだね。沼垂はどうしたの、吸収されちゃった?」
エミ:「おそらく新潟県民以外は、沼垂が新潟に名前を変えたのだろうなって思うんじゃないかしら。博多が福岡に、石山が大坂、尾山が金沢に、とか信長以降の武将って地名を変えまくるし、今は同じ新潟市だし。でもね、ここまで見てきたように新潟と沼垂はちょっと、いや大きく違うのよ」
サキ:(ごくり)
エミ:「この信濃川左岸の新潟と、右岸の沼垂。二つの港町の関係が、ここからバチバチになっていくのよ」
サキ:「Jリーグでも、同じさいたま市に浦和レッズと大宮アルディージャがあってバチバチのライバル関係のような」
エミ:「ふふふ…するどい比喩ね。まさにその通りよ」
信濃川と阿賀野川の河口のラグーン(潟)がどのような大きさや形状だったのかはよくわかっていません。今も残る鳥屋野潟ですらラグーン時代の名称は不明だそうです。沼垂の港も砂丘だったのか、河岸段丘だったのか、それともラグーンに浮かぶ中島だったのか…詳しい方はぜひコメント欄で教えてください
宿命のライバル――新潟 vs 沼垂
エミ:「しかも江戸時代には、信濃川の左岸(新潟側)は長岡藩領、右岸(沼垂川)は新発田藩領。江戸時代の感覚では『他国も同然』の差なのよ」
サキ:「同じ川の両岸なのに!?」
エミ:「しかも二つの港が河口の利権をめぐって争い続けたの。1727年には訴訟にまで発展して、沼垂側が敗訴。新潟が河口の利権を独占するようになったわ」
サキ:「うわぁ……裁判沙汰……新潟勝利」
エミ:「もちろん歴史のある沼垂とバッグにいる新発田藩はだまっていないわ。すごいことをするの。1730年の阿賀野川と信濃川が合流していたのを、砂丘に排水のためとしてバイパス(松ヶ崎掘割)を作って、阿賀野川を日本海に直接流しちゃったの。偶然か、必然か、排水のための水路が増水で決壊して、そのまま巨大な阿賀野川の本流の河口になっちゃったの」
サキ:「えっ、水路が川になっちゃったの!?」
エミ:「そう。その結果、阿賀野川は現在のように、信濃川との合流地点から離れて、別の場所から海に注ぐようになった。これで、信濃川の河口の新潟の港は水量が激減して、砂がたまって大きな船が入港できなくなる恐れが生じた。ただ港としての機能がガタ落ちになったのは沼垂のほうだったみたいだけど」
サキ:「新潟の巻き込まれ感が強い……あっ、それって……チグリス川が流路を変えてアレキサンドロスが衰退したのと、完全に同じ構造だよね!」
エミ:「そうなの! 川の流路変化が都市の命運を握るっていう構造が、メソポタミアと越後で見事に重なるのよ」
サキ:「エミちゃん、ちょっと鳥肌立ってきた……」
そして萬代橋が架かる

信濃川に掛かる萬代橋(重要文化財)
エミ:「こうして何百年も対立と足の引っ張り合いが続いた新潟と沼垂。この二つの町をつないだのが、今の新潟中心部にかかる重要文化財の萬代橋なの。初代の木造橋は明治19年――1886年に架けられたわ」
サキ:「それまでは?」
エミ:「渡し船だけ。信濃川は、天候によっては対岸が見えないほど川幅が広かったの。物理的にも、心理的にも、歴史的にも、完全に分断されていたのよ」
サキ:「それが一本の橋でつながった……!」
エミ:「しかもこの橋、最初は二人の篤志家――新潟日日新聞社社長の内山信太郎と第四銀行頭取の八木朋直が資金を出して架けたの」
サキ:「民間の志で架けた橋なんだ……!」
エミ:「橋長は約782メートル。現在の橋の2.5倍もある長大な木橋だったの」
サキ:「でもさ、橋ができたからってすぐ仲良くなれたの?」
エミ:「……残念ながら、そう簡単にはいかなかったわね。むしろ対立はその後に頂点を迎えるわ」
鉄道爆破事件――対立の頂点
エミ:「萬代橋が架かった11年後の1897年、北越鉄道が直江津から新潟方面への路線を延伸するにあたって、新潟市と沼垂町の間でものすごい駅誘致合戦が起きるの」
サキ:「水運から鉄道の時代って感じだね」
エミ:「近代化の象徴だからね。ところが信濃川の川幅が約1キロもあって鉄橋の建設費が莫大になるため、鉄道会社は信濃川を渡ることを諦めて、沼垂側に終着駅を置いたの。場所は少しずれるけど、今の新幹線のJR新潟駅も沼垂側(信濃川右岸)にあるの」
サキ:「あー、ここでまさかの逆転。新潟側としては納得いかないよね……」
エミ:「納得どころか、新潟市側の『鉄道同志会』の過激派が暴走して、沼垂駅の開業予定日のわずか5日前――1897年11月11日の早朝、沼垂駅構内の機関庫と貨物庫、さらに新栗ノ木川の鉄橋に爆弾を仕掛けて爆破したのよ」
サキ:「ええええっ!? 爆弾!?」
エミ:「幸い損害は軽度で済んで、開業が4日遅れただけだったんだけど……この事件がどれほど対立が根深かったかを物語っているわよね」
サキ:「橋を架けても仲直りできないって……何百年の恨みって怖いなぁ」
焼ける橋、消えない意志
エミ:「そしてさらなる試練が来るの。1908年3月8日、新潟市古町(新潟側)の芸妓屋から火が出て大火事になり、火は北西の強風に煽られて延焼して、ついに初代の萬代橋に燃え移ったの」
サキ:「えっ、萬代橋が……!?」
エミ:「半分以上――260間、約472メートルが焼け落ちたわ。『昨日まで 何こころなく渡りしに 焼けてしらるる 萬代のはし』。これは当時の沼垂町長が詠んだ歌なの」
サキ:「沼垂の町長が、新潟側の橋が焼けたことを嘆いてる……」
エミ:「ここがね、私、すごくグッときたの。対立していたはずの沼垂側が、萬代橋の消失を自分たちの喪失として嘆いている。橋が架かった22年の間に、両岸の人々の意識は確実に変わっていたのよ」
サキ:「……それはちょっと泣きそうになるねぇ」
エミ:「しかも、この大火の前年にね、もうひとつ大事なエピソードがあるの。1907年2月に沼垂町で大火が起きたとき、沼垂の消防力が限界に達したところに、新潟市から萬代橋を渡って蒸気ポンプの消火応援が駆けつけたのよ」
サキ:「それって……橋があったからこそのポンプの輸送よね」
エミ:「初めての消火応援。何百年も争ってきた相手に、橋を渡って助けに行った。これが歩み寄りの決定的な転機になったと言われているの」
新潟へ完全統合、そして消えゆくもの
エミ:「焼けた萬代橋は翌1909年に二代目として再建。その後、大正3年――1914年4月1日、ついに新潟市と沼垂町は合併するの」
サキ:「おおおお……! ついに!」
エミ:「人口増加で港湾開発の余地がなくなっていた新潟市と、広大な土地はあるけれど単独では開発が進められなかった沼垂町。お互いを必要とする関係が、萬代橋を通じた人と物の交流でようやく実を結んだのよ」
サキ:「何百年もの争いがようやく終わったんだね……」
エミ:「そして昭和4年――1929年に、現在の三代目萬代橋が架かるの。鉄筋コンクリート造の6連アーチ橋。御影石の化粧板を施した美しい姿で、2004年には国の重要文化財に指定されたわ。一般国道の橋梁としては日本橋に次いで全国2例目よ」
サキ:「重要文化財……! 橋そのものの美しさと技術だけじゃなくて、この歴史があっての指定だよね」
エミ:「うん。でもね、サキちゃん。ここで一つ考えてほしいことがあるの」
サキ:「……なに?」
エミ:「新潟と沼垂が一つになったのは、間違いなくハッピーエンドよ。でもね、統合されたことで、『沼垂』という名前は少しずつ薄れていったの。新潟市立沼垂小学校や大字としての東区に沼垂があるくらいで」
サキ:「……新潟の激流に飲み込まれて、だんだん記憶からも薄れていく……」
エミ:「そしてその『沼垂』のルーツである渟足柵――古代の『ぬたり』がどこにあったのかは、今も謎のままなの」
サキ:「……待って。それってつまり――」
エミ:「そう。新潟と沼垂が一つになった歴史は、古代の『ぬたり』が溶けてしまった歴史でもあるのよ」
サキ:「統合がハッピーエンドであると同時に、古代の手がかりは埋まっていく……?」
エミ:「チグリス川沿いのアレクサンドリアは、川の流路変化で物理的に消えた。でも『ぬたり』は、同じように川に翻弄された挙句、和解と統合という”めでたい出来事”によって静かに消えようとしている。消え方が違うけど、どちらも川が始まりなのよ」
サキ:「……歴史のパラドックスだねぇ、それ」
エピローグ――身近な古代
エミ:「ちなみにね、最初に紹介した新潟市東区の渟足柵探索のプロジェクトは令和2年で終了したけど。そのページがーーいったいなにを更新したのかは不明だけどーー令和8年3月にも更新されている。アレキサンドロスのように渟足柵の遺構が発見される可能性だって十分にありえるわよ。」
サキ:「わぁ……まだ見つかる可能性はあるんだ……!見つかったら、日本の古代史を書き換える大発見になるね」
エミ:「そう。そしてね、萬代橋を渡る人は毎日何万人もいるけれど、その橋の下を流れる信濃川が、かつて二つの町の境界線であり、その前は古代城柵を呑み込んだかもしれない川だっていうことを意識している人は、ほとんどいないと思うの」
サキ:「確かに……普通に渡ってたら、そんなこと考えないもんね」
エミ:「イラクのアレクサンドリアの失われた都市は、2300年の時を超えて航空写真から見つかった。じゃあ1400年前の647年に築かれた渟足柵は――もしかしたら、いや確実に今も、新潟の誰かの足元に眠っているはずなの」
サキ:「……エミちゃん、今度新潟行こうよ。萬代橋渡ってみたい」
エミ:「行きましょう。橋の上から信濃川を眺めながら、1400年分のドラマを想像するの」
サキ:「うん。……あ、でもまず今日のプレイリスト決めなきゃじゃん!」
エミ:「そうだった!」
【恒例・プレイリスト会議】
サキ:「じゃあ私から。ヨルシカの『春泥棒』」
エミ:「お、なんで?」
サキ:「なんか、いつか消えてしまうものの中を歩いている感じが、沼垂の人たちが何度も流されながら町を作り直してるのと重なったの」
エミ:「あー……わかる。春って美しいけど、必ず過ぎていくものだものね。移り変わっていく中に美しさがある、っていう」
サキ:「そうそう。川も町も、同じ姿ではいられないけど、でもそこに暮らす人の想いは残るっていうか」
エミ:「いいわね……。じゃあ私はAimerの『残響散歌』」
サキ:「おっ、激しいの来たね!?」
エミ:「うん。新潟と沼垂のバチバチの対立、鉄橋爆破事件まで行っちゃうあの激しさ。でもあの曲って、激しさの奥に『それでも前に進む』っていう意志があるでしょう? 焼けた橋を何度でも架け直す人たちの姿と重なったのよ」
サキ:「わかるわぁ……。じゃあ次、YOASOBI の『群青』はどう?」
エミ:「ああ、それは渟足柵の探索をしている人たちのイメージ?」
サキ:「そう! まだ見つかってないけど、きっとどこかにあるって信じて調べ続けてる人たちがいるわけじゃん」
エミ:「いいチョイスね……! じゃあ私はもう一曲、n-bunaの『ウミユリ海底譚』」
サキ:「わかる! でも一応聞くけど、どうして?」
エミ:「海底に沈んだ世界から声が聞こえてくるような曲でしょう? 水の底に消えた古代の都市が、今もどこかで眠っている――そんなイメージがぴったりだなって。新潟って『水の世界』だったわけだから」
サキ:「あー、もうそれ完璧じゃん……!」
エミ:「あと一曲ずつ行こうか。サキちゃん、どうぞ」
サキ:「じゃあ、Mrs. GREEN APPLEの『ケセラセラ』」
エミ:「あら、意外と明るいの来たわね」
サキ:「だって最後はハッピーエンドなわけじゃん、新潟と沼垂。何百年も争って、橋が焼けて、爆弾まで出てきて、それでも最後は一緒になれた。『なるようになる』って信じ続けた結果が合併でしょ?」
エミ:「じゃあ私のラストは、Linked Horizonの『紅蓮の弓矢』」
サキ:「進撃の巨人!? なんでまた!?」
エミ:「だってね、『その日人類は思い出した』でしょう? 渟足柵がいつか発見されたとき、新潟の人たちは思い出すのよ。1400年前、自分たちの足元にフロンティアがあったことを」
サキ:「……鳥肌。それ反則だよぉ……!」
🎵 新潟VS沼垂のプレイリスト
1. ヨルシカ「春泥棒」 ――消えゆく美しさの中を歩く、沼垂の人々に寄せて
2. Aimer「残響散歌」 ――焼けても架け直す、何度でも前に進む意志
3. YOASOBI「群青」 ――まだ見ぬ渟足柵を追い求める探索者たちへ
4. n-buna「ウミユリ海底譚」 ――水の底に眠る古代都市の記憶
5. Mrs. GREEN APPLE「ケセラセラ」 ――何百年の対立を超えた「なるようになる」
6. Linked Horizon「紅蓮の弓矢」 ――いつかその日、人類は思い出す
メモ【渟足柵と沼垂のタイムライン】
・647年(大化3年):渟足柵設置。日本書紀に記載された新潟最古の記録
・658年(斉明天皇4年):渟足柵造の大伴稲積が叙位される(日本書紀最後の記述)
・717〜724年頃(養老年間):八幡林遺跡の木簡に「沼垂城」の記載。名前を変えて存続が確認される
・1631年(寛永8年):洪水をきっかけに信濃川と阿賀野川が合流、沼垂町の移転が始まる
・1684年(貞享元年):沼垂町、4度目の移転で現在地に定住
・1727年(享保12年):河口利権をめぐる訴訟で沼垂敗訴
・1731年(享保16年):松ヶ崎掘割が決壊、阿賀野川が新河口へ。沼垂の港湾機能が衰退
・1886年(明治19年):初代萬代橋竣工。新潟と沼垂を初めて橋で結ぶ
・1897年(明治30年):北越鉄道の駅設置をめぐり、新潟側過激派が沼垂駅構内・鉄橋を爆破
・1907年(明治40年):沼垂大火に新潟市から萬代橋経由で消火応援。歩み寄りの転機に
・1908年(明治41年):新潟大火で初代萬代橋の半分以上が焼失
・1909年(明治42年):二代目萬代橋竣工
・1914年(大正3年):新潟市と沼垂町が合併
・1929年(昭和4年):現在の三代目萬代橋(鉄筋コンクリート造6連アーチ橋)竣工
・1990年(平成2年):八幡林遺跡から「沼垂城」木簡出土。渟足柵の存続が裏付けられる
・2004年(平成16年):萬代橋が国の重要文化財に指定


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